osaka007’s blog

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紺野昌彦氏の誹謗中傷記事について

紺野昌彦氏について中傷する過去の記事が目に着きます。

特にここ数ヵ月、故意に検索エンジンで上位にしようとしている経緯が強く伺えます。現在その経緯や誰がどのよう行っているのかを追跡しています。

色々と解析する方法もあり、一定のレベルまでは調べれるかと思います。

 

現在では(過去かそうですが)色々と調べてくれる技術者も多く存在し、またGoogl等に直接懇願する方法もあります。

 

特に紺野昌彦氏についての根拠のない誹謗中傷記事は、2015年から2016年初頭の古いものばかりがSEOやクリックを重ねる方法で上位検索に上げていたり、また紺野昌彦氏に関連する正規の物を逆SEOに掛けるという手口のようです。

 

実際に根拠のない誹謗中傷というのは記事を読めば明白であり、あたかも紺野昌彦氏が詐欺氏である印象を植え付ける内容のもので、その文脈も根拠もお粗末です。

しっかりと読んで彼らの言う根拠を検証すれば明白でしょう。

「聞いた」等の抽象的な内容ばかりで実にお粗末。

 

現在新なに他の第三者に対する誹謗中傷を始めているようですがそれもまた根拠薄弱な内容に思えてなりません。

 

ネットの社会は本当に物騒かつ諸刃の刃ですね。

紺野昌彦氏との出会い(テストUP)

ASEAN経済通の紺野昌彦氏との出会

 

紺野昌彦氏との出会いは前回のブログに書いたように、かれこれ25年ほど前にさかのぼる。筆者が大学を卒業し、初めて企業に就職したての事だと記憶しています。

彼は当時はまだ会社勤めのサラリーマンでありながら、既に副業で輸入代行業というビジネスと、飲食店のコンサル業を営んでいたのを今でも鮮明に覚えいます。

 

決して紺野昌彦氏を持ち上げ応援する趣旨のブログではありませんが、テスト記事として数回彼について書いてみたいと思います。

私よりも彼は年下でありながら、会社勤めで社会人としては先輩で、そして既に副業で複数の事業していました。

学生から新社会人になったばかりの私には、それが斬新で未知の世界に感じ当時は相当
輝いて見えていました。


同世代(アラフィフ世代)の皆さんも記憶にある方もいらっしゃるでしょう。

当時は日本は不動産バブルが崩壊したばかりで、好景気の余韻も影を残し世間はポケットベルから携帯電話(当時はアナログ回線)にシフトした時代で、巷には携帯電話のブローカーや当時流行りだしたばかりのPHSなどの勧誘を生業とした人も多く、少しでも所得を上げる努力は当たり前の時代でもありました。

紺野昌彦氏のブログで出てくるASEANの国々や中国は、そんな懐かしい時代を彷彿をさせる何かを感じるにはいられません。

そんなグローバルと呼ぶにはまだ早い時代に、彼こと紺野昌彦氏は既にアメリカを始めタイなどと貿易を始めていました。

1992、3年頃だったでしょうか。


私も一度、彼がアメリカに仕入れに行く時に同行した事がありました。
確かアトランタ、ダラス付近だったと思います。
当時はインターネットの普及もなく、まだ全てはアナログの時代。
アメリカとの通信は当時TELXと呼ばれる通信手段もしくはFAXが主流で、これらを駆使して入念に業者へのアポを取っていたのを覚えています。

同行したのは、アメリカのアウトドア用品メーカーや、アパレルメーカー。

当時彼は既に東急ハンズなどへの販路も持っており、アウトドア用のライトやグッズを卸売販売していました。

そしてアパレルに関しては、当時流行であったMA-1と呼ばれるフライトジャケットをアルファー社と呼ばれる、アメリカ軍の官給品会社の卸売業者から仕入れ、大阪のアメリカ村神戸元町の古着店やアパレルショップにも卸売していたのです。

記憶では20か21歳頃だったように記憶しています。

今でこそ起業という概念は当たり前になっていますし、学生起業家という言葉も目新しくもありませんが、この時代(今から25年以上前)に既に彼こと紺野昌彦氏は既に学生起業家として友人関係の間では君臨していました。

聞けば紺野昌彦氏の起業はちょうど17歳の夏との事でした。

25年が経過した現在の彼は、自身の会社が既に4社あり、アメリカの上場企業の幹部の名刺も持ち、7カ国でビジネスをし行っている強者となっています。

紺野昌彦氏のブログ

ただ残念なことは一度大きな営業妨害を受けており、年商を11億円を超えてた時点で日本の上場企業に会社をバイアウトした事でしょうか。

それについてもまた詳しくヒアリングした事がありますので書いてみたいと思います。

テストブログつづく